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muji . yosukeyamashita
photo by M.HASUI
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. ご 挨 拶

 このご時世、とうとう私もホームページというものを持つことになりました。
 パソコン通信やメールは結構長い間やっており、人のホームページに投稿するなどもして、なんとなく様子は分かっているつもりですが、初体験にはちがいありません。なにとぞよろしくお願いします。
 スタッフ一同張り切っていて、他にはない面白い企画が山積みになるはずです。どうかご期待ください。
 私自身も身辺雑記から問題提起まで、思いつくことはダイアリー・コーナーでばりばり書きまくりますので、ご贔屓に。

山下洋輔

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muji . 1999.06.07 .
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スイートベイジルにて

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リハーサル風景
右: ゲイリー・バーツ
4月27日火曜日


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ライブ/5月1日
右: ラヴィ・コルトレーン


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ライブ最終日
2ホーンの場面






























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5月7日
ヤンキー・スタジアムにて
前列左から山下、リッチー、依田。後列: フェローン、アヤネ


























バークリー音楽大学にて

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5月8日夜、留学生たちと
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. 渡米日記 '99

まずはシカゴから

 今回のアメリカ上陸は、DOBARADA INFOにあるような事情で、シカゴからでした。おかげで、シカゴ在住のブルース・ギタリストの菊田俊介さんと再会できました。菊田さんの奥様はスポーツライターの梅田香子さんで、以前から彼女の書くもののファンだったぼくは、以前に出演したシカゴ・ジャズ・フェスが縁でこのご夫妻と知りあい、大変喜んでおりました。
 今回は香子さんは、ちょうど野茂の移籍問題の取材で飛び回っていて会えませんでしたが、俊介氏の出演するブルースクラブ「キングストンズ・マインズ」に出かけられたのは収穫でした。いやあ、シカゴ・ブルース、格好いいですよ。俊介氏は黒人バンマスのグループでちゃんとスターとしてフィーチャーされ、ばりばりに弾きまくり、時にはブルースマンとして当然ながら歌を歌い、満場の客の大喝采を浴びておりました。見ていて、実にいい気持ちでした。

吉井投手、ボビー・ボニーヤ登場

 さらに、ここに驚愕の出来事がおきました。ちょうどシカゴに野球の試合で来ていたニューヨーク・メッツの吉井投手と、強打者ボビー・ボニーヤが、俊介氏を聴きにやってきたのです。二人ともギターを弾くのが好きなのだそうで、その点で、俊介氏はあこがれのスターというわけです。 二人を見て、その体の大きも相まって、野球ファンのぼくはもう失神寸前。
 連れてきたのは、吉井選手の通訳の石島氏で、彼は筒井康隆のファンで、その関係でぼくのことも知ったとのことでした。「風雲ジャズ帖の逆襲」を持っておられたのには仰天、それをボニーヤが手にとってこちらに差し出し「サインをくれ」と言って大笑いをするという、夢のような大リーガーとの交遊でありました。
 休み時間に石島氏が「世界で通用する秘訣を吉井選手に話してください」などとうながされるのには、まいりました。この様な一流選手は皆自分の流儀を持っているので、今更バンドマンの言うことなど関係ないと思います。ま、それでも、折角なので「自分のやりたいようにやり続けて<あいつがやるんじゃ仕方ない>と思われるようになればいいと思うんですが、あくまで芸能関係の話です」などと言いました。
 このことは以後の、吉井選手追っかけ現象と共に、続く話になりますので、ニューヨーク編でまた触れます。
 ともかくも、ブルースマンとメジャー・リーガーが一堂に会した、昔のシカゴ社交界もかくやと思われる炸裂の一夜でありました。

ニューヨーク・ニューヨーク

 こちらはもういつものようにしか暮らせません。
 ワシントン・スクエアの近くのホテルに転がりこんだのが4月24日の土曜日。
 翌日の日曜日から、昼はスタジオを借りて一人で練習、作曲、という日課を基本にします。その間に、トリオのリハをやり、火曜日からは毎日夜が本番という日々です。
 ホテルのエクササイズルームで自転車をこぎ、食事をし、練習にでかけ、食事をし、休み、「スイートベイジル」に出かけるというだけ。他では手に入れられない最高に単純な人生です。
 月曜日の午後にはトリオでの再会リハがあり、新曲の「Fragments」も含めて問題なく終えました。そのまま、三人でスペアリブの店にいき、ビールで乾杯、よもやま話。そのなかで、メッツの「ヨッシー」と会った話には、野球ファンのフェローンが興奮しました。娘のカミーラちゃんがソフトボールのチームに入ったところで、よけい関心が高まっている様子。
 火曜日の昼間には「スイートベイジル」で、ゲストのゲイリー・バーツを交えてリハ。店はオープンしている時間ですが、火曜は初日なのでよくここでバンドが昼間リハをやります。火曜の午後ぶらりと入って、ただでその日のバンドを聴けことがあるわけで、ファンには穴場です。
 バーツは、送ってあったCDを聴いて、「ボレロ」とフーガ風の「Fuga de la Liberation」をやりたいと言っていたので、それをレパートリーに加えました。全編オリジナルという方針には少しびっくりして居る様子でしたが、なに、譜面などは少々すっとばしてもアドリブをはじめれば、ちゃんと自分の世界を作り上げるすごい実力者です。いかにもニューヨークのミュージシャンという存在感のある人でした。
 火曜日から日曜日までのうち、土曜日だけは、バーツがニューオリンズ・ジャズ・フェスに行くので、ラヴィ・コルトレーンに来てもらいました。この再会も嬉しいものでした。ラヴィはよほど後味がよかったのか、ちょっと誘うと、明日も来てくれるとのこと、とうとう最終日はバーツとコルトレーンの2ホーンの場面が出現することになりました。

うれしいゲストたち

 一週間を通じて、客席には色々な知人がきてくれました。
 ニューヨーク在住の黒田征太郎さんは初日と土曜日に来られ、後にすばらしい絵はがきを送ってくださいました。他には、コーディネーターのリッチー・オコン、レコーディング・エンジニアのデビッド・ベイカー夫妻をはじめ、ジャパン・ソサエティのポーラ・ローレンス女史、バイオリニストのアン・アキコ・マイヤース、ダンサーのトシちゃん、ライターのヒトミさん、絵描きの依田さんご一家、絵描きのアヤネちゃん、ロスから恒例の視察に訪れては一夜パーティを開催する、沖縄出身のガベさん夫妻、日本からは旧友プロデューサーの柏原卓夫妻、CMのプロジェクトが進行中の関係で音楽プロデューサーの三田氏と佐藤監督、プロデューサーの田中氏など。
 ちょうど米国公演中のN響のオーボエ奏者茂木大輔さんご一行までが出現されたのには、びっくりしました。びっくりといえば、作家の小林恭二さんがお見えになったこともです。これは全くの偶然で、ミュージカルのハシゴをして最後にジャズをと、飛び込んだら、ぼくが出ていたそうです。
 NY在住の同業者ではアルトサックスのスズキ・マーボー、ピアノの山下徹、歌手の昇子夫人が姿を見せてくれました。
 他にも、洗足学園ジャズコースの教え子とか、ペンシルベニヤ大学に留学しているという田川市出身の娘さんたちとか、学校の後輩の銀行員とか、筒井康隆ファンのパソコン通信仲間たちが現れるという、まことに、NYならではの不思議な取り合わせです。

ほとんどストーカー心理

 そして、吉井投手。本当に現れてくれました。石島さん、ブルペンキャッチャーの人と一緒でした。
 あまり客席のゲストを紹介しないぼくですが、さすがにこの時には言わずにはいられませんでした。ニューヨークのジャズクラブにニューヨーク・メッツのメジャー・リーガーが来ているんですからね。吉井選手、盛大な拍手を浴びていました。
 これが木曜日のことです。実は吉井投手はこちらの初日と同じく火曜日の夜に地元のシェア・スタジアムに登板していました。夜遅くホテルの部屋に帰ったら再放送をやっていたので、応援していたのですが、勝負どころで投げ込んだ一球を打たれて負けたんですね。ファン心理としては、「シカゴであんなこと言ったからじゃないか」なんて、これは一歩間違うと「ストーカー」に通じる心理なんですが、ついついそんなこと考えたりしてしまう。
 それで、テーブルにいって、色々話し、「このあいだはあんなことを言ったけど、同時に人の言うことも聞いたほうがいいこともある」などと訂正版をほざきました。実に余計なお世話ですね。でも、これ以後、吉井投手は負けなしになり、さらには連勝を重ねるんですよね。ファン心理としては、そこに何事かの関連を感じたくなる。過日やった「女性セブン」での著者インタビュー中でこの話題にふれ、結構いばっておりますが、吉井さん、石島さん、どうかファン心理に免じてお許しください。
 この時には、本番へのコンディションの作り方や、野球選手の時間の過ごし方などを逆取材しました。直前に炭水化物をとるといいという陸上選手とは少しちがうのではないかというヒントがありました。日常的に毎日本番がある我々(いつのまにか、ジャズも野球も一緒にしていますが)と、何ヶ月先に焦点を合わせて調整していく陸上選手とでは、やはりちがうらしいですね。
 というわけで、ほとんど野球の話で終始したニューヨーク日記ですが、このあとレコーディングをやり、その成果は秋にトリオの日本ツアーと共にご披露するつもりです。ご期待ください。
 この日、吉井選手が来るというので、フェローンの娘のカミーラちゃんは自分のバットを持参し、サインをしてもらっていました。本当に嬉しそうでした。まことに、メジャー・リーガーはアメリカの子供の英雄なんですね。
 このあと、NY野球好き連盟の、依田、アヤネ、フェローン、リッチー、ムラマツ・G、そしてぼくは、日曜日の吉井選手登板(好投)のメッツの試合に招待していただき、さらに余勢をかって、後日、ヤンキー・スタジアムでは、伊良部対マック鈴木の対決をも目撃するという活動をくりひろげたのでありました。

ボストン訪問

 帰国前には、ボストンに立ち寄り、洗足学園ジャズコースと提携しているバークリー音楽大学の卒業式を見学、先生たちだけのジャズブランチに参加して、学長のリー・エリオット・バーク氏、副学長のゲーリー・バートン氏などに表敬の挨拶をしました。案内をしていただいた松岡由美子さんは、洗足で主任講師をやっている香取良彦氏のバークリー時代の同窓生、ご自身はボイストレーニングの先生で、ご夫君はギタリストです。
 その晩、洗足から留学しているジャズコースの第一期生たち七人、それに須賀君の連れてきた中国人学生を交えて会食しました。何しろ学校から送り込む初めての卒業生なので、現場でどうなっているのか、話を聞きました。色々な問題はありますが、とりあえず皆元気で安心しました。もはや、1ドルが貴重という感覚になっていたりして、これは、頼もしく思ったものです。ボストン自慢のシーフード・レストランの後、泊まっていたホテルの部屋に皆来て、がやがやと話をしました。幸い、酔って先生の首を絞めるという、ジャズコース名物の酒乱は出現せず(寸前はあったけど)、無事お開きになりました。部屋のミニバーはほとんど空になっていました。いや、頼もしい。

帰国

 帰途、機内で、毒物吸引活動禁止状態に苦しむムラマツ・G君をしり目に、再び快適なANAシカゴ便を満喫し、無事帰国しました。そのまま、CM撮影、北海道作曲合宿、美唄でのソロ・コンサート、ピットインでの日野元彦追悼コンサート、などが続き、その後も数々の打ちあわせと、リハーサル・本番という日本の日々が始まっています。

 1999年5月29日 記


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