始球式レポート!
まずはご挨拶
いや、御無沙汰です。
長い間の無更新、すみませんでした。
あれ以来、忙しいのなんの。でも、ピアノコンチェルトは東京と大阪で発表でき、トリオではニューヨーク公演もやり、パリに行ってフランスのミュージシャンとやり、日本では、富樫雅彦の音楽生活45周年記念コンサートの発起人をやり、これが大盛況のうちに終わり、ようやく、この二年間で初めてゆっくりできるという時間になりました。
なんと始球式です
それで、何がよかったかと言えば、あなた、始球式ですよ。
「湘南シーレックス」というプロ球団があります。
これは横浜ベイスターズのファーム、つまり二軍なんですが、今年からそういう名前にして、独立したわけです。私は、ベイスターズのファンなので、そっちの開幕試合でも何かやれなどというお話もあるのですが、それとは別にシーレックスをお手伝いすることになりました。
募集した応援歌の選考を手伝いました。それが横須賀のホームグラウンドで流れています。好評だそうでひと安心です。
それで、対西武戦が、CSテレビで中継されるというこの7月2日の試合で、始球式をやらないかというお話が出たわけです。
うわーこれは凄い。大変だ。
凄いというのは、野球ファンとして、プロ野球の始球式が出来るなんていうのは、最高の夢の実現なわけです。
大変というのは、私はこの20年近く、キャッチボールをしていない。昔は、昼間野球で夜仕事なんてやっていたのですが、さすがに両立できなくなっていた。
しかし、光栄なことです。こんなチャンスを逃す手はない。でも投げられるだろうか。キャッチャーまで届くだろうか、それも硬式球で、と悩みつつ、オーケーの返事をしてしているのでありました。
でも投げられるのか?
球団の応対係の小島さんは、高校球児で、日大三高で甲子園に行っている人なんですよね。「ストライクで決めましょう!」なんて気軽ですが、こちらは肩、腰、腕は投球分野においては、よれよれです。といって、これ、毎日練習して投げたらピアノは弾けなくなる。これは間違いないのです。アンビバレンツというやつですね。
それに寸前に富樫コンサートがあるわけですから、それまでは投げられない。前日の7月1日は、葉山のおそば屋さんで友人の上山氏と待ちあわせて、その家に泊まることになっています。こういう状況で、じゃあ、いつ投球練習をできるのか...
もういきなり本番でやるしかない。ゴロでも届けばいい。市長だのなんだののご老人の始球式なんて大体そういうものだし、タレント娘たちだってロクな球は投げない。あの久米宏だって、一ケ月も毎日練習して、本番は、打者の背中をはるかに外れる大暴投だ。ノーバウンドでキャッチャーに届けば大成功と思うことにしました。
悪夢ではないか!
数日前に買ったグラブをもって、前日に葉山の海岸に行って、投げて見ました。
いや驚いた、全然、投げられない。球が空中に浮かんでいる時間が非常に少ない。
これはまずい!ノーバウンドどころじゃない。投げたとたんにマウンドで足をすべらせて転ぶ、球はころころと三塁側へ、誰もとりに行かない、などという最低に情けない最悪の場面を思い浮かべました。恥、厚顔、ファンの面汚し、老醜、出しゃばり。
葉山の御用邸の前にある「一色そば・如雪庵」は日本一のおそば屋さんですが、この日ばかりはその味もよく分からぬまま、食事を終え、上山氏の家に転がりこみました。上山氏は、初めての自分のボーカルのCDを出す隠れたジャズの歌名人です。お蕎麦会食はそのお祝いでした。
その夜は、大失敗の悪夢を見通しでした。
翌朝、私はさすがに不安になり、息子さんの哲生君にお願いして、近所の公園でキャッチボールをしてもうらうことにしました。哲生君はもとリトルリーグ、今はテニスのインストラクターというスポーツマンです。
人間相手に投げてみましたら、真実が露呈しました。ちゃんと投げる形を身体が忘れているのです。投げるというのは、足、腰、肩、腕、ひじ、指先、が順番に上手く連動することなんですね。これがうまくいき、かつ、ボールが指からよいタイミングではなれると初めてボールが飛んでいきます。でもそれは十回に1回ぐらい。もっとも、十回も投げませんでした。一度、いい球が入り、テッちゃんが褒めてくれたので、そこでやめたのです。
もうはっきりと、身体中が痛がっているのです。
何とか思い出したが、、。
結局、分かったのは、今の状態で、気楽に普通に投げたのでは、キャッチャーまで届かないということです。
身体の連動ということは、なるべく足を踏み出し、腰をひねり、低い姿勢から、腕を遅らせて振り、思いっきり振り抜くわけです。その時に指が球にしっかりかかる感覚が必要ですが、かかりすぎると、ワンバウンドになる。早く離しすぎると暴投になる。
これを全部実現するために、毎日の練習が必要なのだと分かったのですが、それが当日ですからね。もう遅い! ツーレイト! こんな動作が、本番で出来るのだろうか。不安がさらに増大しました。でも、ぶっつけ本番をやらなくてよかった。どうせ届くだろうなんて思ってやったら、大変なことになるところだった。ともかくも、どうすればいいか、分かったわけです。これはもう、腰に負担をかけなければならないと覚悟した。思いっきりひねらないと投げられない。これは辛い。でも無理にでも腰をひねる。あとで、いててててて、と叫んでギックリ腰になっても仕方ない。そうしなければ球は空中を移動しないのです。
選手はかっこいい。
横須賀球場は、京浜急行の追浜駅からすぐのところです。
スタンドは内野だけですが、ほぼ満員。二千人はいるのではないか。コンサートとすれば大盛況の人数です。ますます、恐ろしい。
ベンチ裏で、日野監督、田代コーチ、中尾コーチなどが話しかけてくれます。中尾さんからは、奥様へとサインまで頼まれました。ありがたくも光栄です。小島さんがベンチをのぞかせてくれました。「今日、始球式をやってくれるヤマシタさんです」と紹介されると、若い選手達がこっちを見てうなずきます。その身体の大きいこと、足の長いこと、線のきれいなこと、顔の美しいことには驚愕しました。輝くばかりの生き物が、むくむくと棲息している感じです。娘どもがイカレルのも無理ないなあ。
いよいよ絶体絶命
試合前のアトラクションで、ファン十人ほどが参加して、スピードガン・コンテストが始まりました。皆、ちゃんとキャッチャーに届くではないですか。子供も、オバチャンも、おじさんも、お兄さんも、お姉ちゃんも... マウンドには保護のラバーが敷かれてたままです。本番では、それが除かれる。そこに自分が行かなければならない。この時には、ものすごく不安になりました。何年も感じたことのなかった、本番への恐れ、失敗への恐れ、アガルという感覚です。
やがてスタメン発表。それを見て私は腰が抜ける程驚いた(近藤唯之節)。センターに波留、ファーストに駒田が出場するのです。男の運命なんて一寸先が分からない(同上)。さっきまで悪夢を見て泣いていた男が、今度は絶体絶命の窮地に放り込まれる(同上)。
ぶるいましたよ、私は。他に、ピッチャー谷口、キャッチャー相川、セカンド大野、サード新井、ショート福本、レフト古木、ライト小池というメンバーです。 審判団と一緒に待機します、主審がボールを渡してくれる。選手は皆守備位置に着いている。先発投手の投球練習が終わった。「さあ行きましょう」といって、主審が歩きだす、そのあとについてとぼとぼとマウンドに向かいました。ラインをまたぐ時に、すぐ右側の一塁に駒田がいると思うと足がもつれそう、、。
それから先のことはよく覚えておらんのです。「プレイボールと言ったら投げてください」と言われたのは覚えています。マウンドは高くなっているから、投げかたもちがうのかな、と不安になったこと、マウンドからキャッチャーまではものすごく遠く見えたこと、相手の一番バッター(後で気づくと、宮地)が構えていること、くらいかな。
キャッチャーのミットとかホームベースなどは見ないで、バッターのいるそのあたり、という感覚で、投げようと思っていました。ピッチャープレートの上に足を置いたら絶対に投げにくいので、板の前にあらかじめ右足を横に置き、両手を振りかぶって、足をあげながら、また両手を前に戻して投げるということをしました。小島さんから、「思いっきり振りかぶってください」と演技指導を受けていたのです。
なんとかなったか?
えいや、と投げたボールは、どこに行ったのか?
球離れが少し早かった。しまったと思いました。しかし、幸い、球はバッターの背中の後ろには行かなかった。バッターの足もとに落ちました。軽くよけてくれたのではないかと思います。相川捕手がワンバウンドで確かに押さえたと思います。
とんでもないボール球でしたが、ともかくも打者の前を通り、キャッチャーミットに入った。そういう光景を確かに見た。
よかった。よく捕ってくださった。相川捕手に土下座したくなりました。
どうやって球が戻ってきたのか、主審がそのボールを渡してくれる。スタンドからは拍手が起きている。帽子をとって、選手の皆さまとスタンドに挨拶をしました。ベンチ横に戻って行くときに、スタンドの前列に陣取っていたファンのグループが名前を呼んでくれました。そこに手を振ったりしました。
わあ、よかった。悪夢は終わった。投げたボールが、ノーバウンドではなかったけれど、ともかくもプロのキャッチャーのミットに入ったのです。
そのあとCSテレビの中継に加わり、予定より一回多い四回までつきあいました。話も気持ち良くできました。始球式は、大成功ではなかったけれど、失敗ではなかった。それだけで、もう幸せなのです。男の運命なんてこんなものです(また近藤唯之節)。
試合は勝ち
試合は1対ゼロでシーレックスの勝ち。3回に福本の叩き出した一点を谷口投手が素晴らしい投球で守り、最後は小檜山投手が出てきて2イニングを締めました。これで勝率が5割になったのです。嬉しかったなあ。負けたらやはりゲン担ぎ的にも、後味悪いもんね。これで、私が球場に行くと、ベイスターズ二戦、シーレックス二戦、すべて勝ちです。全勝男であります。
余韻
上山夫妻を乗せて車で関内まで行き、上山氏ごひいきの名物のカレー屋さんで打ち上げました。そこで別れて、一路、立川の自宅へ。途中で、もう一度、女房に確かめましたよ。「ボールはバッターの後ろを通らなかったよね」ボールは打者の前を通り、地面に落ちたけれど、確かにキャッチャーが捕ったと聞いて、あらためて深い安堵に浸りました。
あとは、この身体で、ピアノがちゃんと弾けるかどうか、確かめるだけです。
二日後の、長野県岡谷での渡辺香津美、宮本文昭とのスペシャルコンサートで、つつがなく音は出ました。身体が少しこわ張っていたし、左腰にひっかかる感じも残っていた。けれども、不自由に苦しむことはなかったのです。よかった。
恐怖が去った日々、私は、話したくてたまらなくなり、こうしています。
でも、もっと喋りたい。そうだ、横浜ファンの親父さんのいる阿佐谷の焼き鳥屋「鳥正」に行こう。
そこで、こう話しちゃう。
「右打者のインコースぎりぎりに落ちるシンカーで決めちゃったよ」ってね。
2000年7月12日 記
始球式、内容訂正!
わ、大間違いだ!
始球式の場面を思い返して、あんなに内角に球がはずれたのに 打者がどうやってよけ、かつ恒例の空振りをしたのか、実は実感が
ないままに、興奮の中であのレポートを書いたわけですが、 それもそのはず、打者の宮地選手は左バッターでした!
今日、送られてきたビデオをみるまで、思い出せなかったのです。 そうか、どこか打者の構えの記憶が、はっきりしないと思ったら、そうだったんですね。
球は左打者の外角はるか外れるワンバウンドで、「右打者の足元にきめたシンカー」と言えませんよ、これは。
皆さま、特に西武ファンの方々には失礼しました。
片山広明さま、梅津和時さま、ひらにご容赦を!
お詫びと、訂正まで。
2000年7月26日 記
|