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muji . 2001.07 .
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. 山下洋輔の"文字化け日記"
イラストレーション:火取ユーゴ
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4月22日 
名古屋。札幌に続く林英哲とのデュオ・コンサート。舞台上でのトークで英哲さんは山下の「ジャズ地球秘密結社説」を披露し「うらやましい」と話す。しかし、英哲和太鼓結社も活発で、この日はオーストラリア人の弟子たちが楽屋に集結していた。師匠のやる通り日常左手で箸を使うという真面目さらしい。打ち上げで映画好き映画通の英哲さんに映画音楽の話をもちかけた。これはしかし当事者同士(しかも、おれは酔っ払っている)の抜け駆け会談になり、マネジメントサイドがもっとも嫌うケースとなった。はたして、翌日、G(爺)君に散々叱られたが、後始末もしてくれたので、もしかしたら奇跡的に実現する可能性はある 。


4月23日 福山みろくの里。その映画は岡本喜八監督が6年ぶりにメガホンをとる「助太刀屋助六」。主演は真田広之。ロケ地には他に仲代達也、鈴木京香、嶋田久作、伊佐山ひろ子、田村奈巳の顔が見えた。ところで、映画音楽には長年の疑問があった。昔の米国西部劇などの音が結構複雑な西洋近代音楽のサウンドで、後年近代音楽を聞いても馴染みすぎていて面白くなかったのだ。この疑問、1月に井上道義さんが新日フィルの定期演奏会で紹介したコルンゴルトという作曲家の存在で解けた。この人が近代音楽とハリウッドの掛け橋だったのだ。


4月28日 十年ぶりゴールデンウィークの「ピットイン5デイズ」初日。ソロと浅川マキとのデュオ。超満員。マキとは久しぶりだが、確信的妖しい即興時間を楽しんだ。ソロの時もデュオの時も最近あまりない「ヤマシタ!」とか「マキ!」という怒声、じゃなかった、掛け声が飛ぶ。三十年前の「異議なし!」的雰囲気がいやが上にも盛り上がるのよね。


4月29日 水谷浩章(b)、堀越彰(ds)、鬼怒無月(g)という突発的リズムセクションに金子飛鳥(vn)をゲストに迎えて大騒ぎ。一人ひとりとデュオのあと第2部は国籍不明強烈不思議音楽が乱れ飛んだ。韓国リズム使用の集団即興音楽を初演したら、この連載でイラストを描いてくれている火取さんがピカソの「ゲルニカ」からの連想で「ゲルニカンド」と命名してくれた。いただき。


4月30日 水谷浩章(b)、高橋信之介(ds)、竹内直(ts)の「4Gユニット」に原朋直(tp)。現在のレギュラー・グループの4Gは、5432の4世代の意味。22歳の信之介は、最近ついに「じじい、殺す!」の心境を会得したようで心強い。現在、お聴き得です。


5月1日、2日 ビッグバンド登場。五十嵐一生、佐々木史郎(tp)、松本治、片岡雄三(tb)、池田篤、竹内直、佐藤達哉、石兼武美(bs)、水谷浩章(b)、高橋信之介(ds)。一騎当千の強者達のお陰で「5デイズ」はバリバリに盛り上がって終ることができた。


5月7日 ラジオたんぱで始めるトーク番組の収録にタモリが来てくれた。1972年頃の最初の出会い、福岡のホテル部屋乱入の真相を確かめた。おれ達の他に知り合いの顔が見えたから入って来たという説を最近信じかけていたのだが、やはりそうではなかった。タモリは中村誠一がゴミ箱をかぶって踊っている姿だけが見えた。それで「ここはおれの場所だ」と確信してどんどん入ってきたのだ。疑問氷解。やはり凄い奴だった。


5月11日 「笑っていいとも」に出演。桃井かおりからの繋がり。ジャズコース代表をしている洗足学園大学でのコンサート「DO JAZZ! SENZOKU」のポスターを貼って宣伝。あとはカーナビの話。言葉で機械と話せるが頓珍漢もある。例として「ピットイン」と言ったら「実家」と反応された。色々やってみたら、「笑っていいとも」は「カーナビ用品店」に「タモリ」は「病院」になった。それで思わず「馬鹿者」と怒鳴ったら、澄ました声で「電話番号」と言う。結構受けた。タモリはすぐに反応して講談調と落語調のカーナビを実演してくれた。CMの時にタモリは「タモリ・病院か、何も合ってないなあ」と不審げ。おれの捏造と思ったか。でも全部本当だ。後日やってみたら同じだった。どこをどう取るのか面白い。落語では志ん生の「妾馬」で、 八五郎が侍に名前を言うと「チョーロゲであるか?」と言われて嘆く場面がある。車との会話は筒井康隆の名作「お紺昇天」そのものだ。なんとなく辻褄があって、筒井さんに繋ぐ。
 アルタを出て、そのまま銀座で池辺晋一郎さんと来年の水戸芸術館公演の内容を打ち合わせる。駄洒落王者の池辺さんの本日のネタは銭形平次の女房がフランス人っだったという話。毎朝「ジュテ・モタ?(十手持った?)」と言うのだそうだ。仏語シリーズは他にも「シャセ・ジュセ(射精受精)」「モンペト・クワ(もんぺと鍬)」などもある。おれの好みは、「イカジュポン・タコハポン(烏賊十本、蛸八本)」これはいつも笑える。その晩は「銀座スイング」で「4Gユニット」の演奏。金曜の晩のせいか、満員。



5月12日 「新宿ピットイン」。富樫雅彦トリオ。ベースには水谷浩章が招集されていた。演奏後、富樫はご機嫌で、独特の少年のような笑顔を見せる。仏国でスティーブ・レイシーとやる話をすると、よろしくを託された。


「CDジャーナル」2001年7月号掲載

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