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. | イラストレーション:火取ユーゴ |
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格月闘日。ジャズマンにも格闘技好きは多い。異種格闘技ではルールをどう決めるかが大事な問題だが、一度は何でもありというのを見たいものだ。ずっと以前に竹内直(ts)とそういう話をしていて「ルールなしでやったら、誰が一番強いかな」と聞いたら、「結局、ブッシュが一番強い」とのお答えが返ってきた。そういう話ではなかったはずで、あまりの次元のぶっ飛びように、爆笑しつつあきれていたのだが、今年になってまさにその通りであることが立証された。おそるべし、ジャズマンの洞察力。ところで次は北朝鮮だというが、テレビ画面などでもれ聞える音楽、クラシック編成のオケ、合唱団など高水準とみた。選ばれた革命音楽戦士たちは皆モスクワ音楽院に留学するのかもしれない。軽音楽やかの喜び組の踊りは共産国特有のダサささ丸出しで陳腐だが、演奏上のミスは聞こえない。やはり間違えるとコロされるから、皆、必死なんだろうね。っていうか、間違えた奴はもう消されているから、そういう音は出ないというわけ。 ビッグ月バンド日。我が愛する球団横浜ベイスターズに一字違いの山下大輔監督が就任したおかげで、色々接触があり、応援歌のビッグバンド・バージョンを作ることになった。ヤンキー・スタジアムでは試合後、勝つとシナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」が、負けるとライザ・ミネリのそれが流れる。そのあたりもイメージして、ばりばりのベイシー・スタイルを目指した。原案を松本治に見せて編曲を頼み、録音日を迎える。あっと驚く凄いメンバーが集まってくれた。エリック宮城、西村浩二 、小幡光邦、小林正弘 (tp)、中川英二郎、広原正典、鹿討奏 、野々下興一 (tb)、ボブ・ザング 、近藤和彦(これすごい偶然って分かる人はチャンジイかマニア)、黒葛野敦司 、竹野昌邦 、宮本大路 (sax)、松本峰明 (p)、水谷浩章 (b)、芳垣安洋 (ds)。幸い「おれは巨人ファンだからこんな仕事は嫌だ」という人はおらず、逆に「父が熱烈な横浜ファンで、喜んでいる」という嬉しい人もいた。フルバージョンで七分半のすげえ恰好いいビッグバンド作品ができたと自負する。わし自身もソロパートでちらっとアバレます。いずれベイスターズグッズになると思うので、皆さま是非お買い上げの上お聞きくださいって、自分のCDより力が入るのはなぜでしょう。 野月球日。というわけで、横浜球場へ。関係者扱いでネット裏のブースに案内される。グランドに出てもいいと言われて打撃練習を見学。古木と村田が同時に打っているケージの後ろで、山下監督と話し、通りかかった石井琢朗選手を紹介されるなど、有頂天状態が出現した。さらに練習後監督室に同行し、さらにさらに選手専用食堂で一緒に食事となると、これはもうほとんど恍惚の人だ。そばを通りかかる選手の若く格好よく綺麗で輝いていることといったらない。こういうことをして試合が負けたらどうなるかと一瞬恐怖する。勝負の世界だからゲン担ぎがあるに違いない。「あいつが来たから負けた」は嫌だ。しかし、試合は快勝! 前述の音楽「ベイスターズ・ジャンプ」は開門後の五時頃にフルバージョン、味方に点の入ったあと守備につくまでのあいだに後半の繰り返しが流れ、勝利の瞬間からインタビューまで出だしから高らかに鳴り響く。それらを全部聞くことができた。ああ、なんという幸せな日だ。そして……しかし、その後の我がチームの足取りについては、聞かないように。今年の野球の記憶は、今のところ、この日をもって終わっている。 英月哲日。林英哲とのデュオ17番勝負「乾坤価千金」がついに最終日を迎える。2月8日の鎌倉での初日以後、青山、名古屋、静岡、長野、倉敷、山口、大阪(2回)、福岡、伊予西条、金沢、津、仙台、青森、札幌、渋谷と叩き巡り、とうとう最終日のオーチャードホールにたどりついた。スタッフ交えて総勢20名のチームでの3カ月に渡る転戦だった。一座の一員となって旅をする日々が日常になって、たまに帰宅していても楽屋が懐かしくなった。すぐにでもそこに行って暮らし、演奏したいという気持ちが湧きあがる。例えて言えば、別のー、家族がー、できたー?、みたいなー。英哲さんの音が、これがとどめと、轟きわたる。アンコールの「貝殻節」まで進む。これをおれも一緒に歌えという感想が以前に新聞に出ていたが、とんでもない。毎回聞きほれるだけだ。サイン会の後、関係者、豪華な顔触れのゲストの皆様と打ち上げ。最高の幕切れは寂しと紙一重だ。 「CDジャーナル」2003年6月号掲載 |
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