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muji . 2003.10 .
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. 山下洋輔の"文字化け日記"
イラストレーション:火取ユーゴ
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薩月摩日。鹿児島国際大学で特別講義。前日に到着して、歴史家の肥後精一先生と会い、白熊を食べに行く。以前ここに書いたときには、白熊の正体をばらさなかったが、これは鹿児島名物のかき氷の一種で、食堂「むじゃき」がはじめたと言われる。サクランボなどのフルーツ山盛りでその配置が白熊の顔に見える。その本家に行くと入り口に大きな白熊君が服を着て立っていた。夜は、86年の「ドバラダ門」騒動の時に一緒に騒いでくれた鹿大ジャズ研の森田氏や、閉店した老舗ジャズ喫茶「パノニカ」の中山信一郎氏、川内のジャズ喫茶「はいから」夫妻と会食。こちとら生魚が駄目なのに御配慮いただいて、巨大な地鶏の炭火焼きに焼酎という完璧コースを堪能した。それからやはり老舗ジャズ喫茶の「リバーサイド」に行き食後酒。御主人の川添晃氏の黄綬褒章受章を祝って乾杯。翌日、講義つまりトークショーは無事終了。そのまま空港へ。運転の水流(つる)女史と薩摩弁問答をする。次の言葉が一発で分かる人は、まことのカゴンマ人じゃっど。「つんばっかい」「そるばっかい」「あるばっかい」。ヒントは床屋さんに書いてある言葉。正解は「刈るだけ」「剃るだけ」「洗うだけ」だって。分からんよね。「がらるっど」「たまがっど」というのもあった。「叱られる」「びっくりする」という意味で、これは阿佐谷の焼鳥屋にあった焼酎の名前だ。

岩月原日。越後湯沢の岩原にあるスキーロッジ「ピットイン」で、毎夏作曲合宿を行っている。今回はまずヤヒロ・トモヒロとのデュオ・コンサートをやってそのまま泊まり込んだ。毎年正月のオペラシティでのリサイタルの準備だ。その途中で一昨年は映画「助太刀屋助六」のメインテーマがここで出来た。午後2時から4時の間、食堂のピアノを使わせてもらって集中する。規則正しい生活となった。その間、和食の朝食とイタリア料理の夕食を7日間食べ続けて、全然飽きない。マネジャー兼シェフの岡淳朗さんの腕前はただ事ではない。

芸月術日。合宿の途中で六日町までドライブ。周辺の町村を巻き込む超芸術大計画の「越後妻有アートトリエンナーレ」が3年に一度行われているのだ。招聘芸術家157人。のべ作品数約180点。3年前は前夜祭で演奏した。六日町の駐車場に車をおいてタクシーに乗る。どこに何があるのか、運ちゃんに聞いた方が早い。案の定、運ちゃんはうなずいて「はい、はい、ゲイジュツがあるんですよねえ」と言う。「昨日も外人さんを案内したんですけど」と連れて行かれたのは、信濃川の近くの一画。黒い路面に駐車場が出来ているが、それが小山のようにうねうねとしている。白く引いてある区画の線が斜面にそってくねくねとなり、向こうは立ち切られて崖になっている。全体は、まるでダリの時計状態だ。これを全部工事して作ったとのこと。芸術祭が終わった後、どうするのだろうか。このまま残しておくと、事故多発は間違いない。さらに案内してもらい、運動場に何万枚の布をはためかせるという、ま、よくありそうなものや、運ちゃんがまるでオバケが出たと打ち明ける口調で言う「うちの営業所の近くにもあるんですよ」という針状の集合体や、商店街の空き地にあるペットボトルの林や、電柱を覆う極彩色の布などを矢継ぎ早に見て回った。こういうことで、頭がシェイクされる感覚はやはり面白い。

大月混雑日。お盆のど真ん中の大雨の日に羽田空港に車で行くのが如何に無謀かよく分かった。集合時間の2時間近く前に到着したが、駐車場は満車。順番待ちの車があふれている。これはヤバイと羽田東急ホテルに走って、そこの駐車場に入れようとすると「宿泊客で満杯」と阻止される。環八沿いに送迎をする駐車場があるというので、電話をすると「今日は無理」ときっぱり言われる。あてがなくなり、パニック状態でホテルを探しながら走ると、いつの間にか横浜方面への高速道路に入ってしまった。「横浜まで20分」の標識が見えたときには、破滅を覚悟したが、すぐに「大師」の出口があったのでそこで降りる。すると、駐車場ありのビジネスホテルの看板が目に入った。そこに乗りつけ、ずぶぬれでロビーに飛び込み「今から泊めてください。でも泊まりません。羽田に行きます。北海道です。車だけ泊まります。前払いします。タクシー呼んでください」と順不同でわめく。人のよさそうなオカミさんが全部承知してくれた。助かった。翌日羽田に戻り、タクシー会社に電話をしたが、空港には行けないとのこと。大師までの距離では、空港で待つ運転手と喧嘩になる恐れがあるので、電車で京急川崎に行き、大師線に乗り換えて産業道路駅で降り、雨の中を歩いて、ホテルに着く。オカミさんにお土産の「白い恋人」を渡して、車のキーを受けとって乗り込むと、ホテルのタオルと缶コーヒーをくれた。高速には乗らず、品川に向かい、五反田に出て山手通りに入り、井の頭通りへと左折し、環七環八を横切り、吉祥寺を突っ切って、五日市街道に出て立川に帰った時には、あたしゃあくたびれた。



「CDジャーナル」2003年10月号掲載
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