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muji . 2004.06 .
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. 山下洋輔の"文字化け日記"
イラストレーション:火取ユーゴ
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激月怒日。くりかえす! 文学者が細心の注意をはらって使う以外の「おもい」という言葉を馬鹿者は使うな。意志、気持、計画、作戦、希望、感想などなどの言葉ではっきり表せることをどうして、あいまいに、なよなよに、ぐずぐに、糞づけにするのか。気取っているつもりなら百倍馬鹿だ。この馬鹿言葉をたれ流す腐れ頭の腐敗菌脳髄どもは、即死刑にする。政治家、アナウンサー、キャスター、コメンテーターと称する魯鈍ども、全員死ね! こちらに接触する業界人、インタビュアーも気をつけるように。この件に関しては、おれはデバ包丁持って歩いてるけんね。

松月原日。静岡音楽館AOIで、松原勝也ヴァイオリン・リサイタルがあり、ビーバー、イザイ、トリカイ・ウシオ、ユン・イサン、バッハ、ピアソラなどの作品を松原さんがソロで弾く。そこにお邪魔して、ピアノソロと、作品提供。四楽章からなるソナタとも組曲ともつかぬ新曲「Chasin' the Phase」をデュオでやる。松原さんは、純粋即興の為に会場の電気を全部消して真っ暗な中で即興演奏をやったという逸話の持ち主だから、途中安心して即興部分を任せられる。書いてある音符はこれ以上ない素晴らしさで弾いてくれるので、「作曲家」としての喜びも尽きない。曲は「静岡音楽館AOI委嘱作品・世界初演」の肩書きなので、ピアノ・パートもちゃんと書き込んだ楽譜を提出しなければならない。希有の快楽は代償なしには味わえないの一例だ。

焼月蕎麦日。テレビで富士宮市が「ヤキソバ立国」を目指していると知って、一度是非行きたいと思っていた。静岡の翌日、車で向かうことにする。富士川にそって上り富士宮市に入ったが、どこにも「歓迎ヤキソバの里!」などの横断幕はない。はてなと思いつつ、人気の無い駅近くの駐車場で車を降りて適当に歩くと、ありました! 小さな喫茶店の外に旗がはためいていて「焼きそば学会」の文字が見える。中に入るとふつうのランチメニューの中に「ヤキソバ」もある。それを注文した。オカミさんが言うには、ソバとタレはどの店も共通で、具がそれぞれの特色を出すとのこと。市役所がらみで盛り上がり、市内で百二十店程の店が参加していて、その全てを網羅した地図もある。食べてみると、平べったい麺は歯ごたえがあってなかなか結構でしたって、わざわざ来たんだからこう言うしかないよね。

故月障日。富士宮市の少し先が、あの上九一色村だと知ったが、そっちには行かず、東名高速方面に戻る途中で、車の故障警報装置が表示された。バッテリーの図が出てきて注意を促す。道路脇に止めてディーラーに電話をすると、最寄りの営業所を教えてくれた。そこに持ち込むと、ざっと調べて「これは駄目です」となった。あずかって部品取り寄せて修理すると三日はかかると。げー。折角のドライブ計画はどうなる。しかも、三日後にまた新幹線で新富士にもどってきて陸送屋と化すのか。事実その通りになったが、この時はとりあえずレンタカー屋に電話をしてもらって、伊豆へのドライブと東京帰還の足を確保した。

伊月豆日。そのレンタカーで伊豆を目指す。バイパスではなくて旧道を修禅寺の方へゆっくり走ると、目につく店の看板が気になりだした。トンカツの店が「水之助」っていうのはどう考えても変だ。焼き肉屋の「やきとら」もおかしい。「かにうどん」という旗もあったが、これは許せるか。赤坂で「ルイス」という焼鳥屋の看板を見たのを思い出す。冒頭の話とは違って、変な言葉もこのようなものならいくらでも許せる。

八月岳日。八ケ岳高原音楽堂で演奏。ここには今までソロ、デュオで来ているが、今回は向井滋春(tb)、八尋知洋(perc)との「八向山」だ。周囲がガラス張りで、夕暮れの眺望をそのまま背景に見せる木造のホールで「八ケ岳対八向山、包み込んで八ケ岳の勝ち、と思ったら、爆発して八向山の勝ち」などというバトルが繰り広げられた。

野沢月菜日。翌日、コンサートマネジャーの松井女史のはからいで小淵沢までタクシーに乗る。やまね館に行き、八ケ岳の大パノラマ望見地点に行き、運ちゃん情報でこだわり蕎麦屋も探訪できた。小淵沢駅から十分の雑木林の中の店で、入り口に「中学生以下の入店お断り」と毅然とした断りがある。メニューは無く、注文できるのは白い蕎麦か黒い蕎麦だけというのが嬉しい。両方とって食べる。美味かった。小淵沢駅に着き、喫茶店に入ると、写真家のアラーキーさんが、あのお顔で一人で座っていた。「ここは酒場“ホワイト”ですか!」と驚愕。ヤアヤアってんで、ガンコ蕎麦屋の話から、長野人の蕎麦自慢は結局「家の裏山にすむオバアチャンが気が向いた時に打つ蕎麦が一番」となることや、さらに野沢菜にこだわる奴も多いという話になった。すると店のオカミさんも乱入してきて、絶対にこれが一番だと野沢菜を出してきた。「美味い」ってんで盛り上がり、同じものを隣の土産物屋で買うという流れは絶妙でありました。



「CDジャーナル」2004年6月号掲載
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